新アジアの壁 冨安健洋の軌跡

守備の国、イタリアで17試合1アシストと守備面はもちろん攻撃面でも絶賛活躍中の冨安健洋。最近では゛新アジアの壁゙とまで呼ばれ始めている。彼はいかにして新アジアの壁へと成長して行ったのか。

もともと年代別の日本代表を経験していて、一躍その名前が有名になったのは2019年に行われたアジアカップ。その中でも、準決勝のイラン戦にあるだろう。ロシアの強豪ゼニト所属のイランのエース"サルダル・アズムン"とのマッチアップが1番分かりやすいだろう。先発したアズムンに対して、試合を通してチャンスらしいチャンスを作らせていなかった。

アジアカップ決勝敗退に伴い、その名を高めたことにより多くのクラブが注目するようになった。ラツィオボローニャなどイタリアの古豪や強豪、ドイツのレバークーゼンが冨安健洋を狙っていたと言われている。

その中でも、冨安健洋を獲得したのはコパ・アメリカで対戦したチリ代表のガリー・メデルが所属しているボローニャだ。ここまでボローニャにおいて出場した試合は17試合と主戦場は右SBと変わったが、緊急時にはCBへとコンバートが可能であり、守備の国イタリアにおいても通用することが証明されているだろう。最近では、若手のCBの獲得を画作しているユベントスなどへの移籍が噂されており本人も前向きである。ここからの更なる飛躍が期待されている。